chiharu410kun’s diary

成東高校陸上競技部の状況と成功メソッドについて掲載

元気の出るホントにあった凄い話シリーズ①

昭和60年県新人マイルリレー準決勝敗退3’30”0(第10位)。

昭和61年県総体3’21”9(第6位*南関東大会出場)

およそ1人2秒縮めたことになる。

◇過去の先輩

「I日谷君」総体6位入賞の中心選手に成長。

   2年夏「腰が痛くリハビリだけで皆が走っているのを見るのがツライ。自宅でやって いていいですか。」  毎日20kを自転車通学、リハビリだけの夏休みの練習は色々きつかったと思うし、許可した。1日休んだ翌日に練習にいる。どうしたと聞くと「家にいるとモヤモヤで心が変になるのでやっぱりきます。」とその後も自転車で来た。              
    新人戦では混成競技で入賞した。マイルリレーには出場しなかった。400mは52”台だったと思う。「総体はマイルリレーを共通目標にしよう」ということで1日は皆共通練習をした。                
    冬季トレではタイヤ引きなどを実施した。30~100mを5~6本。寒い北風が吹く中、また凄いほこりも舞う中、熱中した。そんな中、I日谷君は常に向かい風を走った。100mでは追風14”台向16”台、追風か、向風かでは天と地の違いだった。                
    翌年総体では400m第8位。50”8だった。がマイルリレーでは絶対的エースになった。 Lapではいつも50”以内だった。決勝では1走の出遅れから挽回6位で次走者へ。3走4走も過去最高ラップで6位入賞。Finish後リレーメンバーは抱き合い泣いた。 スタンドの部員も喜び爆発でゴールゲートに集結、抱き合い泣いた。        
    熱い気持ちで、寒い冬場を過ごし、奇跡を起こした。

    うれし泣きは人間の最高の幸せ。    


    目標をもって、やれるだけやってみよう。歓喜の瞬間を夢見て!        

《今から明日から未来のための勝ち組習慣》      
次回以降*元気の出るホントにあった凄い話をブログに掲載*是非見て心に刺激、そして行動変革を!